保険学雑誌 第668号 2025年(令和7年)3月
非マスリスクに対する保険理論
—問題提起—
中出 哲
■アブストラクト
保険は,対価を得てリスクを引き受ける制度であり,保険の商品,契約,事業の内容と性格は,引き受けるリスクの性格に影響を受ける。そのリスクの性格のなかで,保険の技術的側面から重要となるのは,そのリスクが,リスク引受の対価を合理的に算出して安定的な制度運営ができる性格のものであるかどうかである。保険には,過去の統計等によって一定の予測ができ,大数の法則を利用して運営できるもの(マスリスクの保険)もあれば,それが難しいもの(非マスリスクの保険)もある。保険引受の技術の基本的部分に違いがあるとすれば,保険契約や保険事業を研究するうえでもその点を踏まえる必要がある。わが国の保険理論,保険契約法や保険監督法も暗黙裡にマスリスクを前提として形成されてきた面はないか。非マスリスクの保険という切り口から研究を深めることは有益でないか。
■キーワード
マスリスクの保険,非マスリスクの保険,大数の法則
■本 文
『保険学雑誌』第668号 2025年(令和7年)3月, pp. 1 − 25
非マスリスクに対する保険数理上の課題
—リスクからみた二つの保険制度の探求—
星野 明雄
■アブストラクト
令和6年度日本保険学会大会共通論題「非マスリスクに対するグローバルな保険契約の理論と課題」では,中出(2022)を起点とし,大数の法則を利用して安定的な保険制度の運営が可能なリスクをマスリスク,それが困難なリスクを非マスリスクと定め,マスリスクの保険と非マスリスクの保険を,異なる二つの保険と分類して対比させることで,保険数理,保険契約法など,保険理論の研究を深める試みが提唱された。(本稿では,かかるマスリスクの保険と非マスリスクの保険の対比を,「リスクからみた二つの保険制度」,略して「二つの保険制度」と呼ぶ。)
「二つの保険制度」論に基づく共通論題の議論により,マスリスク保険と非マスリスクの保険のさまざまな特性の差が明らかになってきている。そのスコープは,保険法,保険経済,保険事業経営,保険史を含む,保険学の広範な領域にインパクトを与えるものと考えられる。
本稿は,これらの領域中,保険数理のうちの純保険料算定の観点から「二つの保険制度」を考察して,非マスリスクの保険は必ずしも例外的ではないこと,非マスリスクの保険の特性は,大数の法則の前提中いずれが満たされないかに応じて,複数の種類が存在すること,それぞれの種類に異なる数理上の論点が存在することを明らかにする。さらに,非マスリスクに対する純保険料の決定原理はなお未確定であることを指摘し,そのような原理についての選択肢を示す。
「二つの保険制度」論に基づく共通論題の議論により,マスリスク保険と非マスリスクの保険のさまざまな特性の差が明らかになってきている。そのスコープは,保険法,保険経済,保険事業経営,保険史を含む,保険学の広範な領域にインパクトを与えるものと考えられる。
本稿は,これらの領域中,保険数理のうちの純保険料算定の観点から「二つの保険制度」を考察して,非マスリスクの保険は必ずしも例外的ではないこと,非マスリスクの保険の特性は,大数の法則の前提中いずれが満たされないかに応じて,複数の種類が存在すること,それぞれの種類に異なる数理上の論点が存在することを明らかにする。さらに,非マスリスクに対する純保険料の決定原理はなお未確定であることを指摘し,そのような原理についての選択肢を示す。
■キーワード
大数の法則,収支相等の原則,保険料算定原理
■本 文
『保険学雑誌』第668号 2025年(令和7年)3月, pp. 27 − 59
企業リスクマネジメントの実務と課題
—増大する非マスリスク保険への期待—
村山 知生
■アブストラクト
日本と欧米の保険市場の特色と,それらにより生じるリスクマネジメントの違いを整理する。日本においては企業と保険会社の間にもたれあいの関係が醸成され,日本企業は長きにわたりリスクマネジメントを保険会社に任せ,積極的に高度化を図ってこなかった。しかしながら,今後海外展開を加速させるためには欧米企業と同水準のリスクマネジメントを実践する必要がある。その第一歩となるのがグローバル保険プログラムの導入である。
日本企業のリスクマネジメント高度化を阻害する要因は何か。それらは如何にして克服できるのか。日本企業の課題を考察する。
併せて,近年活用されることが多くなった非マスリスク保険の内,ポリティカルリスク保険ならびに表明保証保険を紹介する。
日本企業のリスクマネジメント高度化を阻害する要因は何か。それらは如何にして克服できるのか。日本企業の課題を考察する。
併せて,近年活用されることが多くなった非マスリスク保険の内,ポリティカルリスク保険ならびに表明保証保険を紹介する。
■キーワード
リスクマネジメント,グローバル保険プログラム,非マスリスク保険
■本 文
『保険学雑誌』第668号 2025年(令和7年)3月, pp. 61 − 80
保険法は非マスリスク保険を適切に規律できるか
榊 素寛
■アブストラクト
従来の保険法研究は,マスリスクの家計保険を中心に行われてきたため,企業保険,とりわけ非マスリスク保険については,研究の蓄積もなく,実務も明らかではない。
本稿は,解釈論や立法論を提示するのではなく,保険法研究の空白地帯ともいうべきこの領域の研究可能性をゼロベースで検討し,将来の研究の視点を言語化することを目的とする。具体的には,⑴大数の法則を前提としたルール,⑵購入主体が一般大衆であるという前提,⑶保険契約者の平等取扱いの必要性,⑷集積リスクやリスクの個別性,⑸約款の拘束力や契約の構造,⑹保険法の規定の適用の要否,⑺保険契約者・被保険者の意思・行為との関係,⑻複数の保険会社,英文約款,国際性,再保険の観点から各論を検討する。
最終的には,研究の空白地帯を示すことで将来的な研究の可能性を明らかにするとともに,保険会社に対して,約款を含めた研究対象の日本語での情報発信を強く要望する。
本稿は,解釈論や立法論を提示するのではなく,保険法研究の空白地帯ともいうべきこの領域の研究可能性をゼロベースで検討し,将来の研究の視点を言語化することを目的とする。具体的には,⑴大数の法則を前提としたルール,⑵購入主体が一般大衆であるという前提,⑶保険契約者の平等取扱いの必要性,⑷集積リスクやリスクの個別性,⑸約款の拘束力や契約の構造,⑹保険法の規定の適用の要否,⑺保険契約者・被保険者の意思・行為との関係,⑻複数の保険会社,英文約款,国際性,再保険の観点から各論を検討する。
最終的には,研究の空白地帯を示すことで将来的な研究の可能性を明らかにするとともに,保険会社に対して,約款を含めた研究対象の日本語での情報発信を強く要望する。
■キーワード
企業保険,保険法の空白地帯,新たな研究領域の開拓
■本 文
『保険学雑誌』第668号 2025年(令和7年)3月, pp. 81 − 103
米国保険契約の理論と実務から見た日本の非マスリスク保険契約の実務課題
小林 一郎
■アブストラクト
米国の保険市場は,その歴史を紐解くと,大数の法則の適用が認められやすい保険(マスリスク保険)を認可保険として想定し,そうでない保険(非マスリスク保険)を非認可の保険として規制の上で区別してきたと考えられる。
米国の財物保険では,統計データに基づき保険金・保険費用の期待値を算出し,保険料を算出することが前提とされ,消費者保護などの観点から認可保険としての規制が施される。一方で,自由料率を前提とする海上保険のほか,認可市場では調達が難しい企業向けハイリスク保険などに対応するため保険会社と保険契約者の間で自由に契約交渉が行われるE&S保険を中心とする非認可市場も並行して形成されてきた。
これに対して,日本の保険実務では,大数の法則の適用を前提とする統一的な保険理論が強く意識されてきたことから,標準化の要請がドグマとしてより強く作用し,企業向けハイリスク保険の領域で柔軟な契約設計が制約されている可能性がある。長い年月を経て日本と米国との間では,保険実務の慣行に大きな差が生じたのではないかと考えられる。
米国の財物保険では,統計データに基づき保険金・保険費用の期待値を算出し,保険料を算出することが前提とされ,消費者保護などの観点から認可保険としての規制が施される。一方で,自由料率を前提とする海上保険のほか,認可市場では調達が難しい企業向けハイリスク保険などに対応するため保険会社と保険契約者の間で自由に契約交渉が行われるE&S保険を中心とする非認可市場も並行して形成されてきた。
これに対して,日本の保険実務では,大数の法則の適用を前提とする統一的な保険理論が強く意識されてきたことから,標準化の要請がドグマとしてより強く作用し,企業向けハイリスク保険の領域で柔軟な契約設計が制約されている可能性がある。長い年月を経て日本と米国との間では,保険実務の慣行に大きな差が生じたのではないかと考えられる。
■キーワード
非マスリスク保険,非認可市場(Non-Admitted Market) ,E&S(Excess & Surplus)
■本 文
『保険学雑誌』第668号 2025年(令和7年)3月, pp. 105 − 135
日本で締結される外航貨物海上保険契約になぜ英国法が適用されるのか—新旧準拠法条項の意義と問題点
野村 美明
■アブストラクト
外航貨物海上保険の英文保険証券で従来用いられてきた準拠法条項の解釈に関して,学説や裁判例では様々な見解が主張されてきた。しかし,2019年に改定された準拠法条項によって,先行研究における見解の対立の多くは解消した。特に次の点は重要である。①実質法的指定説は,従来の準拠法条項の解釈におけるよりもさらに説得力を失ったこと,②告知義務に関する準拠法は日本法であることが明文で規定されたこと。
従来の保険実務が告知義務の準拠法を英国法だと考えてきたのに,2019年の準拠法条項がこれを覆したのは,告知に関する2015年英国保険法のルールが柔軟で実践的である反面,日本の保険契約者等に理解させるコストが増加するからだと推測される。なお,個人が被保険者の場合は,告知義務が自発的申告義務でよいかは理論的に検討する余地がある。
従来の準拠法条項と2019年の準拠法条項の普及度を含む保険実務のあり方についてはさらなる調査が必要である。
従来の保険実務が告知義務の準拠法を英国法だと考えてきたのに,2019年の準拠法条項がこれを覆したのは,告知に関する2015年英国保険法のルールが柔軟で実践的である反面,日本の保険契約者等に理解させるコストが増加するからだと推測される。なお,個人が被保険者の場合は,告知義務が自発的申告義務でよいかは理論的に検討する余地がある。
従来の準拠法条項と2019年の準拠法条項の普及度を含む保険実務のあり方についてはさらなる調査が必要である。
■キーワード
外航貨物海上保険,英文保険証券,準拠法条項
■本 文
『保険学雑誌』第668号 2025年(令和7年)3月, pp. 137 − 161
シングル介護の経済的脆弱性に関する分析
谷口 豊
■アブストラクト
我が国では高齢化とともに未婚者の増加が進行しており,独身者が親の介護を一人で担うシングル介護が社会問題化している。シングル介護者の経済的な脆弱性については先行研究で多数指摘され,シングル介護者のワーク・ライフ・バランスを保つこと,すなわち介護と仕事の両立の重要性が示されている。本稿ではシングル介護者が介護離職をした場合には経済的な破綻を招く蓋然性が高いという仮説を定量的に明らかにすることを目的とする。特に本稿では現役世代の中でも親の介護のリスクが高まる40歳,50歳代の中年期に注目する。シミュレーションの結果,シングルはシングル以外に比べ脆弱性が高いことが確認された。その主因はシングル介護の際に介護離職をすることであり,低所得世帯でなくとも介護離職をすると老後に経済的破綻を招く蓋然性が高いことが確認できた。よってシングル介護者は現在経済的に問題がない世帯であっても介護離職をするべきではないと本稿では主張する。
■キーワード
シングル介護,介護離職,老後資産シミュレーション
■本 文
『保険学雑誌』第668号 2025年(令和7年)3月, pp. 195 − 225
後期高齢者医療制度と介護保険制度の一体化に向けた考察
田畑 雄紀
■アブストラクト
2023年5月「全世代対応型社会保障制度改正法」が成立した。そこでは「高齢者医療を全世代で支えるための制度の見直し」「医療・介護の連携機能」等が盛り込まれた。医療と介護の連携は以前からいわれているが,後期高齢者医療制度と公的介護保険制度には類似した点があり,制度間での連携が必要ならば制度を一体化した方が連携もしやすくなると考えられる。また,諸外国では高齢者のみを対象とした医療保障制度はなく,制度の加入者を年齢で区別する根拠は弱い。本稿は医療と介護の特徴を踏まえ,日本で加入者を年齢で区分するに至った歴史的経緯を確認し,医療と介護の連携が必要な現代では,高齢者医療と介護制度を一体化し介護保険を全年齢に適用する案を示す。本研究は,最終的には医療保険制度を1つにし,全世代で支える制度を構築,そこに介護保険も組み込む政策提言の第一歩目と位置付けるものである。
■キーワード
医療と介護の連携,ケアサイクル論,後期高齢者医療制度
■本 文
『保険学雑誌』第668号 2025年(令和7年)3月, pp. 227 − 248